折伏は難しいが強いて説き聞かすべし(御書)結果は必ず出る

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折伏は難しい。それはあたり前ですが、だからこそ功徳は大きく歓喜も大きい、とは、池田先生の折伏の指導でも何度も伺っているところです。

折伏が難しいというのは、端的に言って、折伏してもなかなか入会してくれない、ということと共に、強いて折伏することで、折伏する本人に反発・危害が及ぶ可能性があって恐怖心から躊躇する、という両面があるのだと思います。

そして、この折伏。入信(発心下種)・未入信(聞法下種)共に、折伏した功徳に全く相違は無いとの、御書及び学会指導も明確です。

それでも至難と思える折伏について以下、御書を拝します。

御書の折伏に関する指導

法華経を強いて説き聞かすのが折伏です。曰く~

『とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり(法華初心成仏抄:御書552ページ)』

折伏の反対語である「摂受」とは、心を寛大に相手の間違いを即座に否定・反発せずに受け入れて、穏やかに説得することを言います。しかるに御書での折伏の指導は~

『夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし(開目抄:御書235ページ)』

世界広宣流布大願成就とは法華弘通に他ならず、法を弘むる人がいかに貴いか~

『大願とは法華弘通なり(御義口伝:御書736ページ)』

『法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し(百六箇抄:御書856ページ)』

「入信するしないにかかわらず折伏の功徳に相違なし」、とは言え、率先垂範を旨とする学会幹部の方々にとって、事実上の入信(入会)への導きは組織の会員諸氏に大いなる奮起を促すことになるのも事実です。

この度、筆者は、そのような事例を身近に知ることとなりましたので、以下にご紹介します。

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入信を自ら願い出たTさんの事例

我が地区から車で1時間はかかるところの某更正施設(身体を患い身寄りの無い方が入居)にお住まいの、今年73歳になる壮年のSさんが、我が地区の紹介で入会されたのが、平成26年の11月。昨年の11月には任用試験にも合格されました。入会後丸1年が経過し、各種会合へのお連れだしにご本人も、ご無理を重ねて参りました。

そこで、お住まいの地域に組織の籍をお移しすべく、地元学会員の幹部の方のところへご挨拶に伺いました。

その折、壮年Sさんの任用試験合格に多大なご支援をいただいた、同施設にお住まいの壮年部Tさんとも食事をしながら歓談。この席で、壮年部Tさんの入会経緯に驚きの事実があったのです。

Tさんは、20代に男子部で頑張っていましたが、故あって30代に退転。その後、辛酸をなめつつ30年が経過し、縁あって、今の施設へ。

施設入所後、足に怪我をして某医院に行ったところ、待合室に、手持ちのカバンから聖教新聞をのぞかせた壮年に遭遇。Tさんは思わず、「創価学会の方ですか?」と声をかけました。その壮年こそ、創価学会総県幹部のNさんであり、Tさんの入会紹介者に他なりませんでした。

Nさんは広く地域で有名な大幹部の方です。昨年12月の我が地区の座談会にもお呼びしたばかり。本当にビックリしました。大幹部Nさんのおかげで、Tさんは入会し、Sさんを任用試験合格まで支援。加えて、地元地域での活動にも、今後ともSさんの力になって下さいます。

思うに、折伏は、一念と覚悟の問題なのだと思います。入会・未入会共に、下種をする(仏法対話をして入信を勧める)功徳に相違はないと言われます。しかし、大幹部Nさんの場合、入会希望者が自らやって参りました。

このようなお話はかつて何度か耳にしたことがありますが、この度、自身が関わる現実に具現。仏法の深さ、信心の一念というものに、改めて思いをいたさずにはいられませんでした。

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