題目根本とはどういうことか について
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題目根本の題目とは南無妙法蓮華経のお題目のことで、このお題目を唱えることを一切の行動(心と身体の全て)の根本・出発点とするべきである、というのが『題目根本』ということです。
あらゆる行動や考えなどの活動はどういう命(思いや意気込みや決意)で取組むかによって、そのプロセスも結果も全く別のものになってきます。
池田SGI会長は、『「徹底して南無妙法蓮華経!」「ただ、南無妙法蓮華経!」「御本尊しかない!」「自分は根本として題目を唱えていくのだ!」ということになった場合に、最も楽しくなるのです。すると今度は・・。一切の悩みや、一切の苦悩が全部、解決する!ここだけわかればよいのです!』と指導されています。
また、『題目をあげ抜いて、勝つのだ。信心で勝とう!時が来れば、すべてが自分自身の勝利の歴史となり、財産となるのだ。信心根本に戦い抜く人は、諸天をも動かし、必ず勝利の大空を仰ぐことができる([新時代第26回本部幹部会]聖教新聞09・02・16より)』とも指導されています。
人間も含め、万物の奥底の法を妙法と言います。そして、この妙法の名前を「南無妙法蓮華経」と言うのです。妙法とはまた、行き詰まりの無い絶対的幸福境涯である仏の命(仏性)のことを指しています。
そして、この仏性を自身の生命に顕す作業こそが、唯一、南無妙法蓮華経のお題目を唱えることなのです。
自身の生命にも他者の生命にも仏の命(仏界)が具わるということは、実に信じがたいことで、これは、悪世である現代(末法という時代)ではあたりまえのこと。故に、これを信じて妙法を弘めていく広宣流布の戦いに最大・最高の価値があると言えるのです。
教学の祖といわれる日寛上人(にちかんしょうにん)は、御本尊を受持すれば「我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり」「我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり」と指南されており、それを可能にするのも「題目の力用に由るなり」(当体義抄文段)と述べられています。
題目根本に唱題しきっていく姿勢が如何に尊いか、また、最強無敵であるか。故に、日蓮大聖人の仏法を行じる者は、どこまでも【題目根本】でなければいけないのです。
【叶う祈りについて】
お題目の祈り・願いが叶わない 絶対に願いが叶う信心という方法
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