題目の功徳 について

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題目の功徳についてです。功徳のある題目とは、法華経二十八品の題目である「妙法蓮華経」に南無する(帰命する・信服随従する)南無妙法蓮華経のことに他なりません。

具体的には、南無妙法蓮華経とお題目を唱えることによって得られる功徳、ということになります。

南無妙法蓮華経の題目の音声がどのように作用して功徳となって現れるのか。この点の確認をしておきたいと思います。

『我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ(御書全集557頁・法華初心成仏抄より引用)』

「我が己心中の仏性」とは自身に内在する仏の命のことで、これが「篭の中の鳥」になぞらえられています。「空とぶ鳥」とは、自身の外(森羅万象)に内在する仏の命、ということです。お題目の音声に全宇宙の仏性が呼応して集まり、これによってますます自身の仏性が顕現されていく様を延べられています。

「梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」とは、全宇宙の働きが諸天善神として守護の働きをするということです。まさに、仏の境涯をあらわすならば、怖いものは一つもないということなのです。

ただ、その前に「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」という部分が重要です。自身の生命に実在する妙法の当体を御本尊なりと信じて、ということなのです。

お題目を唱えるということ自体に、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉り、自身の周囲の全環境からも仏性を引き出すという凄い意味と真実があるということなのです。

題目を唱えるそれぞれの人の環境に応じて、自身の内外の仏性が、その人にもっとも良い方向性で働いていく。それが、題目の功徳なのです。

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題目と御本尊への祈り

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